トレバーの発表原稿:日常の日本語の使い方

皆様
よろしければ、今学期の発表原稿をご覧くださませんか。
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宜しくお願い致します。
トレバー

 日本では美術史の研究は、簡単なものとは限らない。なぜならば、日本の美術は宗教と深い関係があるからである。もちろん西洋でも美術は歴史的に宗教と深い関係があるが、日本の場合は少し違う。日本の宗教、例えば神道と仏教、は過去のことではなく、今も残っている。つまり、宗教の美術品は像だけではなく、礼拝されている神や仏である。それで、仏教と神道に関する美術を調査したければ、美術館と違う形で調査する。
 なぜこの日常の日本語の使い方を発表のトピックとして選んだかというと、この寺で調査できるようになる方法を見たことあって、非常に面白い日常の日本語の使い方だと思ったからである。2016年の夏、コロンビア大学日本美術史研究室長に日本への研究旅行に誘っていただいた。研究室は特に仏教の美術というわけではなく、江戸時代の
世俗的な絵画なのが、この研究旅行は寺の蔵の美術品を中心にしていたから、異なる地域で、多くの寺に行く予定であった。
 やはり、寺での美術の調査方法は美術館での方法と全く違った。寺では、一般に大変に大事な美術品でも、日常な物のように扱われている。二、三百年前描かれた襖絵が普通の障子のように使われて、掛物が壁に掛けられている。
 僧侶に一般的な物のように扱われても、研究者として日常な行動、言葉で話し合わなければならないことを習ってきた。なぜ研究室長がこの寺々にアクセスできたかというと、長期間に渡って、僧侶たちと友人のような関係を作ってきたからである。ある寺の美術品の歴史的な特有さ、大切さについてしか話さなければ、このような関係を作るのは無理であろう。僧侶たちは美術に興味があるかもしれないが、それより仏教の実践に興味がある。また、僧侶は寺にある美術品の保護者というより人間である。なので、人間への丁寧さで話し合わなければならない。人間として話したら、僧侶生活に関するトピックの日本語が必要である。つまり、日常の日本語が必要である。やはり研究者でも、日本について勉強すれば、専門用語だけはなく、日常の日本語の能力も必要である。
 これは自分の経験から見えることだけではなく、現在の出版された目録やカタログから見えることである。例えば、京都国立博物館に2016年に出版された「禅:心をかたちに」という展覧会のカタログがある。この展覧会は禅宗の美術品の特別展覧会であって、様々な有名な寺の異なる有名な作品を見せらせたということであった。有名な作品の中では、大徳寺というよく知られている寺からの物が多くあった。大徳寺が禅宗の歴史、この展覧会にとても大切な寺だから、もちろんカタログで大徳寺に関する論文がたくさんあった。論文の一つは東京国立博物館の山下善也研究者の「禅師の障壁画:絵師飛躍の場として」ということである。
 この論文で、大徳寺の三玄院の有名な襖絵の描き方の話を二つすり合わせようとしている。有名な作家長谷川等伯と大徳寺の僧侶春屋宗園の襖絵に関する違う話をすり合わせることを対象として論文を書いた。しかし、このすり合わせることが大徳寺蔵にある江戸時代の書類に頼って、大徳寺蔵にアクセスができなければこの論文は書けなかった。今の大徳寺の僧侶たちといい関係がなければ、寺が持っている書類にはアクセスできなくて、この論文は書けなかった。このような話が日常の日本語の重要さを示すであろう。
 以上のことで日常の日本の重要さを示そうとしてきた。日本語を「研究言語」だけで勉強している大学院生が多いのが、実は専門が現在のことでも、歴史的なことでも、ゆくゆくは話し合うため日常の日本語を使うようになるにちがいない。

Comments

  1. 日本語を研究言語として勉強するだけでは、日本において必要な情報を得るのに不十分だということですね。例えば、お寺の僧侶と信頼関係を結ぶには、日本語での会話のコミュニケーションは不可欠であり、それなしには、おのずと限界があるのだという説明、よくわかりました。日本語で文献が読めて、書けて、会話として使え、されには人と人を結びつける道具になるという日本語学習のオールラウンド性が求められているのですね。発表が楽しみです。TA小林

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  2. 面白いトピックと思う。日本語を「日常の日本語」と「研究の日本語」に分けたが、具体的にその違いは何?敬語と砕けた話し方の違いと似ているか?

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  3. トレバーさんのおかげで、美術の調査方法における美術館と寺の違いが色々知りました。やはり、研究者にとして、美術品だけが詳しいのはたりなくて、僧侶たちといい関係を作ることも大切ですね。そこで、日常の日本語の重要さがよくわかりました。それに関して、美術研究者だけではなく、人とのコミュニケーションを頼る人類学者も日常の言葉の大切さを重視するべきだと思います。そうしなければ、研究が進みにくいかもしれませんね。発表を楽しみにしています。

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