カレンの発表原稿


仏教を研究するための日本語にとって、どんな言語能力が重要かというトピックを、発表のために選んだ。仏教を研究する場合は、直接仏教に関する学術的な日本語はもちろん、日常の日本語能力も必要だと思う。
    私は自分の研究を基にして、学術的な場面での日常の日本語の重要さについてレポートを書きたいと思う。日常の日本語能力も必要だという点を裏付けるために、日本で 出版された雑誌を見てみよう。
2017年2月15日に、『BRUTUS』の新しい号が出版された。『BRUTUS』は男性向けの雑誌で、普段の特集記事では、ラーメン、車、コーヒー、デニムなど、様々なおしゃれなトピックを取り上げている。しかし、2017年2月号は、「みんなのZEN」という特集記事だった。一体なぜ禅宗がファッション雑誌でトレンディーなトピックとして取り上げられたのだろうか。
実は、この雑誌では、日本で仏教が暗いイメージがあるという点を全く反映していない。『BRUTUS』の特集は、仏教、特に禅は、アップビートで、国際的、かつスマートであると表現している。このレポートで最も重要なことは、『BRUTUS』での仏教や瞑想などに関する言葉である。例えば、英語の言葉 「マインドフルネス」、「メディテーション」、と元々日本語の言葉、「坐禅」、「瞑想」、「禅」、「ZEN」をこの雑誌では非常に混ぜている。
では、「メディテーション」、「坐禅」、「瞑想」の違いは何だろうか。『BRUTUS』によると、「坐禅」・「禅」は「瞑想」・「マインドフルネス」と比べると、辛いイメージで、日本的なニュアンスがあるそうだ。ある記事では、 石川氏という医者はマインドフルネスと禅を比較した時に、この2つは「アーチェリー」と「弓道」であると考えられると比喩を用いて説明している。また、その言葉について、 日本人がどのように思うか、また、どの程度日常会話に現れるか、研究してみたい。
それを明らかにするため、「マインドフルネス」、「メディテーション」、「禅」、「瞑想」、また「仏教」は現代の日本語で、どのようなニュアンスがあるのだろうか。それがわかったら、日本の仏教はどのように21世紀に進化するかという質問の答えにもつながっていると思う。
このいろいろな言葉を研究することによって、日本語を学ぶ大切さを解明することができる。


Comments

  1. 禅が特別な一部の人だけのものではなく、一般の人々の生活に浸透し始めているという事実がありますね。それに合わせて、禅に関する言語がより多くの人によって使用され、言葉のニュアンスが微妙に変化してきているということになるでしょうか。とても興味深いですね。発表が楽しみです。TA小林

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    1. 小林さん、私の下書きをよく読んでくださってありがとうございます。実は、また詳しく「禅」の言葉を学びたいです。日本人に対する調査をしたいですが、例えば、坐禅をしている人の写真を日本人に見せて、「これは坐禅ですか?瞑想ですか?メディテーションですか?」を聞いてみて、その答えを証拠として論文を書こうと思っています。

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  2. カレンさん 京都で禅の先生と話しましたか?それはカレンさんの研究についてどうの様に影響を与えていますか?

    そして「BRUTUS」で「みんなのZEN」という記事があるのが面白そうです〜でも「みんなのZEN」の禅と本当の仏教の本質は同じですか?どう思いますか?

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    1. はい、今年の夏、京都の妙心寺の川上さんとインタビューしました。おそらくこのプロジェクトでその会話が出ないと思いますが、川上さんはマインドフルネス、日本の禅、仏教に関するトピックをいろいろ話し合いました。

      「本当の仏教」って何でしょうかね。宗教はいつも変わるものだと思いますので、この雑誌の禅は仏教の形の一つであるのではないでしょうか。

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